たか爺のお気楽リタイア生活

毎日が日曜日、きょうはなにしよっか・・

二見が浦で光の輪 

 

category: 故郷伊勢

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遠藤関 

 

遠藤関らを熱く歓迎津の老人ホームなど


大相撲名古屋場所(七月十三日初日)を前に、



遠藤関
鈴鹿市白子に宿舎を置く追手風(おいてかぜ)部屋で

人気が沸騰している遠藤関(23)が二十八日、津

市内の老人ホームなどを訪れて大歓迎を受けた

いま旬の力士やものねーーーー


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奇祭潮かけ祭り 

 

漁師や海女などが海水を掛け合う奇祭「潮かけ祭り」が二十七日、

志摩市志摩町和具の漁港であった。大漁と海の安全を祈る祭りで、

約八百年の歴史がある。漁師らは、約二十数隻の船上や、

岸壁からバケツやホースを手に海水を掛け合い、全身ずぶ濡れになっていた。

潮かけまつり


 旧暦の六月一日に行われる。海の女神が沖合約三キロの

大島まで里帰りするのに伴い、漁師らは朝、大島へ向かって

大漁祈願などの神事を行う。この日は荒天のため、船上で神事を終えた。

 昼前に漁船が港へ戻ってくると、花火を合図に皆が一斉に

海水を掛け合った。漁船同士の掛け合いから、漁船から岸壁へ、

岸壁から漁船へ水しぶきが飛び交う。興奮のあまり、

岸壁から海へ飛び込む人もいて、にぎわいを見せていた。

海水を掛け合うのは、けがれをはらうためとされる。

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田丸城の虎口(小口)とは 

 

田丸城は中世から近世まで三重県度会郡玉城町

田丸字城郭にあった城(明治4年に取り壊された)である。

田丸城

南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信

田丸富士見門


によって築かれたといわれる平山城であり、三重県指定

史跡である

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道をのぼっていくとやたら道がくねくねと曲がっている

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これは虎口(または小口)と呼ばれ、本丸への道の入り口を折り曲げ

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敵の侵入を阻む役割を目的としている

ほんと、くねくねとしているなぁ

でも理由を聞いて納得したヨ

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category: 故郷伊勢

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田丸城富士見門 

 

田丸城 富士見門(長屋門)

田丸城が廃城になった明治維新の当時、城内には8つの門

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が残されていた。

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富士見門は江戸中期のもので当時の原型をとどめてい.る。

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かつては、門の両側に長屋が付いていたことから長屋門ともよばれていた。

この門は玉城町の重要文化財に指定されているのである

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史蹟田丸城 

 

田丸城跡

いまは石垣のみ残るが玉城町のシンボルともなっている。

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田丸城跡は今から約670年以上前の1336年(延元元年)北畠親房・顕信父子が

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南朝義軍の拠点として砦を築いたのが最初と言われている。

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それから戦国武将蒲生氏郷

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紀州藩田丸藩の領地になり

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幕末に至った

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現在は花見の名所としても有名で、たくさんの人々の憩いの場となっている

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遊歩道も整備しオーキングにも最適だ

そういえば地元の人がウオーキングしていたな

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田丸城三の丸奥書院 

 

旧田丸城三の丸にあった奥書院

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江戸時代の建物だ

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城下に払い下げられていたものが160年ぶりに

里帰りした

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なぜだか分からないが蒸気機関車が展示してあったな


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何でだろう?知っている人があれば教えて下さい

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category: 未分類

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村山龍平記念館 

 

あの朝日新聞創業者の記念館が度会郡田城町にある

村山龍平記念館

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記念館の由来
 
昭和58年4月に開館。1階に図書館、研修室、事務室を完備。

2階には郷土資料館、資料所蔵庫等を設け、

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玉城町の社会教育の振興と地方文化の発展を志向して活用されている。
 
村山龍平は、嘉永3年(1850年)伊勢国田丸に生まれ、

紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。明治維新後、

大阪に移住。明治、大正、そして昭和

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朝日新聞を創始。これを育成し、「朝日」を世界に誇る

大新聞に仕立てあげた。

また、社会事業、文化事業にも多大の御功績を残した。

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こんな田舎町から大朝日の創業者が出たとは知らなかった
見に行った日は内部は見れなかったのでもう一度いってみようっと

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田丸神社 

 

三重県度会郡の田丸城の近くを車で走っていたら

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田丸神社の標識があったので

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車を停めて参拝してみることにした

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参道の階段である

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筆塚という供養塔があった

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古い建物である

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これは本殿

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ここで参拝をした

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ご神木である

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お祓い所である

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田丸神社の由緒である

元禄15年(1702)2月京都北野天満宮より菅原道真公の御分霊を勧請され天神社としてお祀りされたのが創始とされるが、それ以前は大榎の大木を御神体とする天神様に降雨止雨を祈願する農耕神的性格を有していたと伝わる。宝永6年(1709)享保13年(1728)寛保3年(1743)安永7年(1778)寛政3年(1791)とほぼ20年毎に田丸に大火があり、これを防ぐために天神社に祈願を行い、八心思兼神、忌部神を合祀して以来、当地には大火がないと伝えられる。明治41年1月8日田丸町字魚町蛭子神社、字大手町琴比羅神社、稲荷神社、字板屋町稲荷神社、字萱町八雲神社、境内社塩竃神社、字勝田町琴比羅神社、秋葉神社、境内社瘡守社、八雲神社、大字佐田新田町浅間神社境内社稲荷神社、字新田町新田社、字下町八雲神社、字三ツ橋八橋神社八幡社、大字下田辺東山端八柱神社境内社山神社、字城山八幡神社、大字上田辺字牛尾崎八柱神社境内社山神社、字辻の長八雲神社境内社天神社、字見世門山神社を大字下田辺天神山天神社へ合祀し田丸神社と単称。同年2月21日に合祀を執行した。当神社は、菅原道真公を主祭神として19柱を奉斎している。


19社が合併してできたということか

参拝中だれにも会わなかったな・・・・・・

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忍者について 

 

甲賀流伴党宗師家で、三重大教授の川上仁一氏

が十九日、同大の授業で教壇に立った。

川上氏は聴講した学生約百八十人に、

忍者や忍術学を紹介した。

人文学部の山田雄司教授が忍者研究を教える

「日本史」の一環で、川上氏が同大の教壇に立つのは

昨年に続いて二回目。昨年の授業で好評だったことから、山田教授が求めた。

忍者


この日、川上氏は忍術について、「日本の風土や

文化によって培われた」と説明。「本質は戦うためではなく、

戦いを避けるためにあった。世界に発信すべき心得だ」と訴えた。

講義の後、学生が「日常で生かせる忍術はあるか」と質問。

川上氏は「交渉で有利に立つため、初対面の相手の目

をしっかり見て力強く握手する方法がある」と紹介していた。

これは参考になるねっ

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