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たか爺のお気楽リタイア生活

毎日が日曜日、きょうはなにしよっか・・

日出城跡を巡る・・宮崎・大分の旅七日間(10) 

 

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大分県速見郡日出町にある伊勢高校9期生同級生山内美登里さんのご主人の実家↑をあとにした

4日目 9月4日(日)

まだ時間があるなぁー・・、日出城跡でも見ていくか

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日出藩二万五千五石のお堀である。これは海まで通じており、海水が流れ込んでいる・・

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現存する、鬼門櫓である


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日出城は江戸初期に木下氏により築城された


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1695年に築造された、時鐘である。現在の日出小学校の校門に安置されている

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これは藩校の致道館である


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横から見たもの。キレイに修復がされている。中は訪問時刻が遅かったので入れなかった・・。残念

また、次来たときにリベンジするぞ

 以下この、日出藩について

日出藩(ひじはん)とは、大分県豊後国速見郡に存在した藩。

拠点は速見郡日出町。居城は日出城。藩主は木下氏であった。

藩祖は豊臣秀吉の正室・高台院(於禰)の兄・木下家定の三男である木下延俊である。

延俊は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのとき、東軍で終始活躍した功績により戦後、

徳川家康から5千石加増の豊後国速見郡日出3万石に封じられた。なお、

父の家定も延俊とは別に所領を与えられ、

備中国賀陽郡足守(賀陽郡・上房郡2万5千石)に足守藩を立てている。

延俊の子で、第2代藩主となった木下俊治の時代、弟の木下延由に5000石(速見郡立石)の所領を分与したため

、日出藩の所領は2万5000石となる。江戸時代を通じて移封も減封もされることなく、

16代にわたって木下氏は日出を支配し、明治時代を迎えた。

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category: 九州への旅

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